政策空間: 真技術<Real techniques>
エネルギー危機なる言葉が出てきて、もう数十年。なくなりつつある石油に代わる新しいエネルギーがいくつも取り上げられているものの、結局は未だ決定的なものは見つかっていない。
しかし、こうした新たなエネルギーへの流れの中で私が思うことがある。そもそもなぜ、新たなエネルギー云々以前に、エネルギーを使わない方向で物事を考えないのか。
例えば、日本で毎晩夜の間、電気の供給をストップすることになったらどうだろうか。おそらく驚くほどのエネルギーの節約になるだろう。しかし、多くの日本人が反対するだろう。「そんなことしたら不便になる」「生活水準を落としたくない」…
しかし、私はそうは思わない。確かに不便にはなるかもしれないが、我々の生活が劇的に悪化するとは思わない。むしろ、現代社会で我々が文明の代わりに忘れてしまったものを再発見できるのでは、と思うのだ。
私は学生時代、アジアやアフリカの国々を旅した。電気やガスや水道のない村で過ごしたことも何度もある。そんな生活は想像できないという人もいるかもしれないが、私が実際過ごしてみると違和感がなかった。それ以上に、日の出と共に起き、日の入りと共に寝るという生活は、日本の24時間の灯に慣れていた自分の身体に心地よかった。限られた資源を共有し、助け合う村人たちの姿に、今は無き日本のコミュニティを感じた。
エネルギーの問題の前に、今の日本の便利な社会は本当に幸せなのか、便利なキカイに囲まれた生活は本当に幸せなのか、その部分から考えなければならないのではないだろうか。確かに24時間の灯のおかげで夜中にも外を歩ける。でも、その灯のせいで徹夜で残業しなければならない人もいる。夜の星の輝きを知らない子供たちがいる。
今の生活は得たものと同時に失ったものもある。また、今の生活を変えると失うものと同時に得るものもある。
『非電化工房』と呼ばれる興味深いプロジェクトがある。電気を使わない『非電化』の考え方は、今後どうなるのか私自身非常に興味を持っている。
電気を使わない「非電化」という選択肢(前編) 〜道具を使うプロセスを愉しむことを忘れていませんか? - ECO JAPAN〈エコジャパン〉 - nikkei BPnet 環境ポータル
エネルギーを減らす、こうしたアプローチが今後増えていけば、また環境問題も違った局面を迎えるかもしれない。

